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その他 2024.07.15
山岳保全活動という名の荒野を、共に歩こう〜The Last Frontierアラスカと雲ノ平を訪れて〜
北米最後の秘境にて
白夜の夕焼けの下、私の目の前には深い灌木の森が広がっていた。屈強なアラスカンの腕の太さほどある枝が四方八方に張り巡らされ、私の行く手を阻んでいた。
さながらスパイ映画のレーザートラップ。私は「北米最後の秘境」への侵入者だった。カラダをくねらせ、屈ませ、なんとかブッシュの間を掻い潜る。一歩進むごとに体に刻まれる切り傷や擦り傷が、この土地と私とを繋いでいく。
次第にこの森に取り込まれる感覚に陥る。枝に寄りかかり、巨大なバックパックをひっかけながら、私は目の前のブッシュを薙ぎ倒して強引に道をこじ開けるようになっていた。
「ミシッ」
「パキキッ」
乾いた音が生まれては、森の中に吸い込まれていった。
トレイル=「道」を整備することについて考えるとき、決まって思い出すのが、原生自然の「道なき道」を歩いたこの体験だ。
私は、海から山頂を目指す「SEA TO SUMMIT」というスタイルで国内外の山に挑んでいる。2019年の夏、私がアラスカにいたのは、海抜0mから人力で北米最高峰・デナリに登るためだった。通常はセスナで飛ばすことができる山麓の深い森を越えていかなければならなかった。
「生きて帰ってきたらどんな場所だったか教えてくれ」
現地のレンジャーにそう言われた未踏のアプローチルート。1日12時間以上ブッシュと格闘し続け、3kmしか進まない日もあった。ヘラジカが枝を折ってこじ開けた獣道の助けを何度も借りた。
「人間ひとりがいくら枝を折ろうが、アラスカの自然はなんら揺るがない」
力強い自然の中で感じた人間のちっぽけさ。ある種のカタルシスを味わった冒険的山行だった。こんな自然体験をより多くの人がすれば、自然を支配できるなどという驕りを捨て去ることができるのではないか。そんな仮説とともに帰国してすぐ訪れたのが「日本最後の秘境」雲ノ平だった。
『わたし』の自然体験と『わたしたち』の自然保護
アラスカで感じたことを率直に伝えた時の二朗さんからの回答を今でも覚えている。
「自然体験を語るとき、主語は『わたし』でいいんだけど、自然保護について考えるとき、主語は『わたしたち』でなければならないんだよね」
ハンチング帽の影に鋭い眼光。静かな物言いの中に、燃え盛る闘志が感じられた。どこまでも個人的な自然体験と、それを多くの人に広めるときにぶつかるジレンマ。確かに富士山を訪れるほどの人数がデナリ山麓に集結してしまえば、いくらあの手強いブッシュでもその姿を消してしまうかもしれない。手付かずの自然を冒険する面白さを感じながらも、大勢のインパクトを集中させる場所としてのトレイルの意味合いも学んだ。
自然を愛する「わたしたち」の一員として、わたしはトレイル整備に関わろうと決心した。
4年後の夏。差し入れの酒瓶7本を背負って伊藤新道を登りながら、雲ノ平トレイルクラブに関わるメンバーはどんな人たちなのだろうか考えていた。
ナチュラリスト? 登山愛好家? ヒッピー? 現場作業者? アクティビスト?
恐らくそのどれもが正しいが、一番しっくりくる言葉は「アーティスト」だった。トレイル整備とはすなわち自然を舞台にした創作活動。とかく「登山者の利便性」ばかり語られがちな登山道整備だが、二朗さんが大切にしているのは「生態系の保全」と「景観の美学」だと知った。稀代のクライマー、ウォルフガン・ギュリッヒがありのままの岩壁と対峙するように、道を創り上げる時には、景観や地形と向き合うことになった。
2023年のプログラムでは、祖父岳周辺で侵食が進んだ場所を整備した。
実は、祖父岳は私が妻にプロポーズをした山。この特別な場所に、手触りのある繋がり、そして一緒に整備した人との「泥臭い」記憶が加わり、さらに愛着が湧いた。それは、自力で家を建て、狩猟で食べ物を賄うことで、愛着と共に誇らしく生きるアラスカンたちが大切にしている価値観とも通じていた。貨幣評価軸では測れない豊かな体験がそこにはあったのだった。
希望とは地上の道のようなものである
日本における山岳保全活動はまさに崖っぷちの状況だ。超えるべき課題の山々は遠くに見えていても、そこに至る道はついていない。目の前には深いブッシュさえ蔓延り、私たちの行く手を阻んでいる。
そんな絶望的とも言える状況だが、一筋の希望の光が差し込み始めている。
まず、今まで「二朗さんのもの」だった整備活動に、雲ノ平トレイルクラブの強力なメンバーが加わった。そして、日本山岳歩道協会が発足し、全国各地の先駆者たちとの繋がりも構築され始めている。
魯迅の言葉を借りれば、
元々地上に道はない。
歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
ブッシュを薙ぎ倒し、地面を踏み固め、希望の道を創り上げる仲間が今こそ必要だ。
山岳保全活動という名の荒野を、共に歩こう。